yoga&prana

ヨガを基本にしてジャンルにとらわれずにあらゆる分野の方たちと交流できればいいと思っています。 リンクフリー

いろいろとありまして・・・。

パソコンもふれてなくて、キーボードをたたく気持ちにもなれませんでした。
今もあまりかわりません。

私が、ほったらかしていても観ていてくださってありがとうございます。

心とはほんとにあるのかないのか、やっぱりあると思うのですが、証明もできません。

このブログを立ち上げて、みなさんと会話もできました。

楽しかったです。この一年と少しの自分の支えでもありました。

あるのかないのか分からない心の想いも少しみつめることができました。

少し疲れもたまっているし、お休みをしようと思います。

今までほんとうにありがとうございました。

しっかりと瞑想をして、修業の時間をつくり、またなにか始めたくなったときにはよろしくお願いいたします。

ありがとう!

PageTop

読書の秋

まだまだ暑い日が続きますが、関東地方は今日も雨のようで台風の影響も広がっています。

我が家はのどかな感じの一日がはじまりました。

今朝まで、長男の中学校の宿題をやっていて疲れがたまりまくっています。
今年こそは、自分でと思っていましたが、「な〜あ〜お母さん手伝って〜お願〜い」に厳しく接していたら、学校が始まってもできていなかったのです。

サッカーもさぼって、毎日宿題をしています。
「間に合うの?」
「間にあわへん!」
理科の研究と、数学の研究と、夏休みの体験スピーチの記事と、他にもいろいろ結局やりました。

やり始めると、面白くなってきて必死になっていたら、隣でマンガ読みだすし、「家事を手伝え〜」と怒り爆発!!!

マムダラは数学研究をワープロにして、やつは食器を洗いました。
あかんやんか〜こんなことでは〜。

やっと終わって一段落しました。


今日から怒りを手放して、ブッダの世界になります。

ちょっくら、チョップラでも読んどこかなと思い、これを手にしました。
あなたが「宇宙のパワー」を手に入れる瞬間―永遠に続く幸せの源泉 あなたが「宇宙のパワー」を手に入れる瞬間―永遠に続く幸せの源泉
ディーパック・チョプラ (2007/04)
大和出版

この商品の詳細を見る

こんなのも読みました。
スピリチュアル・ヨーガ―からだの中から美しくなる7つの法則 スピリチュアル・ヨーガ―からだの中から美しくなる7つの法則
ディーパック チョプラ、デイヴィッド サイモン 他 (2006/09)
角川書店

この商品の詳細を見る

一応読んどいたほうがいいかな!読みやすいし!
ヨーガ 幸福への12の鍵 ヨーガ 幸福への12の鍵
スワミ チダナンダ (1999/11)
東方出版

この商品の詳細を見る
7つのチャクラ―魂を生きる階段 本当の自分にたどり着くために 7つのチャクラ―魂を生きる階段 本当の自分にたどり着くために
キャロライン メイス (1998/08)
サンマーク出版

この商品の詳細を見る

たまっていた本の中からこの二冊は読んでしまうときめた!
体力あったらこれも
坐禅・瞑想・道教の神秘―天台小止観と太乙金華宗旨 (さみっと双書) 坐禅・瞑想・道教の神秘―天台小止観と太乙金華宗旨 (さみっと双書)
本山 博 (1991/05)
名著刊行会

この商品の詳細を見る

でも本山先生の本は、難しいからそのまま睡眠導入になりそう。
インドでわしも考えた (集英社文庫) インドでわしも考えた (集英社文庫)
椎名 誠 (1988/01)
集英社

この商品の詳細を見る

軽くこんなのいっときましょか!ワンド(淀川)であたしも考えた!

今日のBGMは、中孝介
ピアノピース654 花/中孝介 ピアノピース654 花/中孝介
(2007/06/07)
フェアリー

この商品の詳細を見る

PageTop

アルボムッレ・スマナサーラ

スリランカ初期仏教長老のアルボムッレ・スマナサーラの本にはまっています。
13歳で得度されて、国立大学で仏教哲学の教鞭をとり、駒澤大学大学院博士課程を経て、現在は初期仏教の伝道と瞑想指導にあたる。朝日カルチャー(東京)の講師を務めている。
養老孟司や立松和平さんとの対談集がでています。

怒らないこと―役立つ初期仏教法話〈1〉 (サンガ新書) 怒らないこと―役立つ初期仏教法話〈1〉 (サンガ新書)
アルボムッレ スマナサーラ (2006/07)
サンガ

この商品の詳細を見る



人間は「怒り」と「愛情」で生きている。怒りを意味するバーリ語(お釈迦様の言葉を忠実に伝える古代インド語)は、Dosa(ドーサ)です。
意味は「濁る」暗いということです。
心に、そのDosaという感情が生まれたら、確実に失うものがあります。それは、Piti(ピィーティ)といって喜ぶ感情です。今、私は楽しい?喜びを感じている?と自問自答してみればいいのです。
退屈なときも心に怒り(Vera)がある。怒りを文字面でなく、心に生まれる感情として把握する。

怒りにもいろんな種類がある

Upanahi(ウパナーヒー)
怨みです。いったん生まれるとなかなか消えなくて、何日でも何ヶ月でも一生でも続くことです。

Makkhi(マッキー)
軽視する性格。いつでも自分のことを高く評価して、他人のよいところを軽視して見る性格です。人の才能・能力・美貌・体力などの長所を認めたくなくて、何か言いがかりをつけて軽視する。

Palasi(パラーシー)
張り合うことです。他人と調和して仲良く生きることができない。いつも他人と競争し、倒そうとする気持ちで、他人に打ち勝つ気持ちで生きている。まわりの人々に対して挑戦的なので、結果として張り合うことになるのです。

Issuki(イスッキー)
嫉妬することです。他人のよいところを認めたくない気持ちですが、そのエネルギーを自分の内心に向けて暗くなるのです。

Macohari(マチャリー)
物惜しみです。俗にいうケチということです。ケチであるならば欲張ることではないかと思いますが、本当は違います。自分が持っているものを他人も使用して喜ぶのは嫌なのです。分かち合ってみんなで楽しみましょう、という性格ではないのです。ですから暗い性格です。したがって物惜しみは怒りなのです。

Dubbaca(ドゥッパチャ)
反抗的ということです。いつまで経っても人は完璧にならないものです。だから我々は他人から学んで、他人の指導を受けて成長しなくてはなりません。他人から学ぶことは、本当は死ぬまでやらなくてはならないことなのです。しかし、他人にやるべきことをあれこれと言われると受け入れがたく、拒絶反応が起こる。これも怒りです。

Kukkucca(クックッチャ)
後悔です。後悔するのは恰好いいことだと勘違いしているのです。反省することとは違います。過去の失敗・過ちを思い出しては悩むことです。かなり暗い性格です。性質の悪い怒りなのです。

Byapada(ピャーパーダ)
激怒です。異常な怒りという意味です。何も理由がないにもかかわらず、怒ることです。理由があって怒った場合でも、その怒りは並外れて強烈なものです。人を殴ったり殺したりする場合の怒りは、この怒りなのです。

世の中の破壊の原因は「怒り」の感情。
「私は正しい」そして「相手は間違っている」と思うから怒る。
自分自身にもそうで、私は完璧なのになぜ今回は失敗したのだろう。「私こそ唯一正しい」が人間の本音、人前では建前として、「私はダメな人間」と一応謙虚さをみせながら、心の中はそうじゃない。
「私は間違いだらけ」と思えば怒らない。物事を正しく判断できる知識人ならわかっていること。

他にもお釈迦様のことや、アインシュタインの謙虚さなど、面白いことが書かれていました。

マムダラは過去の自分を振り返り、全ての怒りを経験していたし、今も小さい規模で、放せていないこともあります。

しかし、いつの日か全てを捨て去るように、時間をかけて精進していきます。そのためのツールのひとつにヨガがあります。

「怒りを観られた瞬間に怒りは消える」自分の怒りを観る。
常に知識と知性をみがき智慧の生じるように...。

怒りの解決法は、怒りそのものの毒を抜くこと。
ヴィパッサナー瞑想法(お釈迦様が教えた、悟りを得るための瞑想法)今の瞬間の自分に気づくこと。

世の中で一番科学的な怒りを手放す方法です。と文中の言葉が心に残りました。

ブッタの冥想実践会に参加してみます。

現代人のための瞑想法 (サンガ新書 13 役立つ初期仏教法話 4) 現代人のための瞑想法 (サンガ新書 13 役立つ初期仏教法話 4)
アルボムッレ・スマナサーラ (2007/07)
サンガ

この商品の詳細を見る

ブッダの道の歩き方 ブッダの道の歩き方
アルボムッレ スマナサーラ、立松 和平 他 (2006/11)
サンガ

この商品の詳細を見る

PageTop

往生

長い間ブログを開くこともできませんでした。


義理の母が、入院してどんどん体力が落ちてあっという間に亡くなってしまいました。

まだまだ若く日ごろが元気だったので、永眠されてもお母さんと思えないのです。

「母親としての人生しかおくってない」そんな方でした。

マムダラにはとてもできませんが、母親を全うしている人をみると素敵な方が多いです。

今は、仕事を持つ女性が増えて、時間とかいろいろなことに追われて子どものことを二番三番にしてしまいがちです。

昔々の日本は専業主婦がほとんどでした。

マムダラは母がバリバリ仕事して、贅沢させてもらった子ども時代でしたが、いつも寂しくて外食や百貨店の美味しいものよりも、母の手作り料理にあこがれていました。

まあ近所の友達は、マムダラの生活にあこがれていましたから、人は無いものねだりをするものかもしれません。

少し仕事を減らして、子どもたちとの時間をつくり、家庭を楽しむようになると、子どもたちが変わりました。
今まで我慢ばかりさせていたなと、寝顔に誤り毎晩「ごめんね、ありがとう」を三人に繰り返しました。

今年になって仕事が減って丁度よかったことばかりおこります。

ほんとの自分がいろいろ今後を考えて、なるようになっていったのでしょう。

真ん中の子、ひ〜ちゃんは小さいときから霊感が強いほうでした。
枕経をあげていただいた時に、母の頭からす〜っと抜け出て、柱におばあちゃんが立ったそうです。

長男がそれを聞いて、「お母さんも見える?あそこに見える?おばあちゃん見える?」と指差しました。

うちの“あなた”もマムダラも、生と死を子どもにみせて経験させたいと考えています。
しっかりおばあちゃんとお別れする。子どもたちはできるだけおきて通夜の日、線香を手向けたりローソクの火をともしたりして、お棺の窓をあけて話しかけていました。

しっかりお別れをしました。

お骨上げも終わり、家に帰ってくると、普段の生活ですが何かが変わっています。

弔問にきていただけたたくさんの方に、感謝とこれからの責任を覚えました。

いつもと変わらない生活のなかで、家族が少し変わったのです。これは、成長したと思います。
哀しみから、絆が深まり、変化して、成長するのですね。変化を避けてはいけないことも知りました。
ヨガの行法を続けて、心も体も柔軟にして、今後起こることをすべて受け入れて、進化していこうと思います。

人生の師匠は、何人もいます。
そのうちの一人の方に、教えていただきました。
「人は結婚と葬儀で大人になる。仕事も遊びも与えられたことを精一杯した人には、先が見えてくる。」

これまでの人生は、方法が間違っていたこともあり、人を傷つけてしまったことも、自分が深く傷ついたこともありました。

でもその時一生懸命だったことははっきりいえます。

精一杯しました。

だから道がつきました。

皆さんに助けていただいて、今ここにいます。
今回も、まりちゃんが代行してくれて教室に迷惑をかけることなくすみました。
友人のありがたさを心にしっかり感じます。

まりちゃんが、「あんた山に行くようになって、ほんまに変わったな」と言ってくれます。
「富士に登ればもっと変わるやろう!これからもっと変わったマムダラに会うのが楽しみや!」と言ってます。
月二回会うたびに言います。

「今までどんなにあかんかってん?」と言いたくなるほど、べた褒めします。

これでもいろんなもの背負ってまんねんで・・・。

またこのたびもいろいろ背負いました。いや、背負わせていただきました。
っまっなんとかなるでしょう!

珍しい方からお電話いただきまして、昔子どもたちが通っていたサークルの代表者ですけど、保護司や学校の先生やら県の子どものなんとか委員に選ばれたり、サークルも続けて、市の遊び場に場所提供したり、なんせ忙しい方ですけど、ヨガのお仕事を依頼されました。

子どもたちも、マムダラもお世話になった方ですから、いつかご恩返ししたいと思っていました。
そのときがきたのだなあ〜。

丁度良いことが、丁度良いときに世の中は起こるのだと、しみじみ感じ、その流れにのっていれば、きっと道が続くのだと思います。
それが人生、人生の終わりにはその人の生き方がわかります。
生き方は、死に方だと思いました。

ごいんさんのお説経がありました。ありがたいお話でした。

「往生とは、いって生まれると書きます。
今日は、故人の生まれるめでたい日です。ですからお祝いの日なのです。」
「親という字は、木の上に立って見ると書く。まさに親とはそういうものです。高いところから子どもの危険を察知したり、物事を広く深くみたりして子育てをする。江戸時代に火の見櫓ができるまでは、木が一番高いところでした。今はマンションの高いところから見ている親が多いですけど・・・。」

マムダラの父母も、義理の母も同じお寺さんにおくっていただきました。
マムダラの母の葬儀は、三十数年前ですから、お寺でしていただきました。その時に、義理の母が、役員として参列してくれました。
またそのおてらさんにおくっていただくとは、深いご縁を感じます。

もうすぐ、富士山の山頂に立ちます。富士山に呼んでいただいている気がします。

あらゆる人に感謝しています。

PageTop

一蓮托生(いちれんたくしょう)

蓮の花

○一蓮托生(いちれんたくしょう)
善いことであろうと、悪いことであろうと、運命を共にすることを一蓮托生という。
仏教語としては、極楽浄土に往生してみんなが同じ蓮の花の上に生まれ変わることを意味します。
極楽浄土では愛するあの人とも、憎いと思うあの人とも、同じ蓮の花の上で幸せに暮らせるのです。
極楽浄土では蓮の花の上、今生では地球の上、ということは今生きている世界を極楽浄土に近づける生き方を少しでも心がけていきたいと思います。

○内緒(ないしょ)
内緒の話といいますが、仏教後では「内証(ないしょう)」と書き証という字は悟りを表すことから「心の内の悟り」のことをいいます。
ヨガでは、内在智とか内観といいます。

○愛嬌(あいきょう)
お寺にお参りして仏さまと向かい合うと、自然と心が落ち着き、手を合わせて頭を下げようという気持ちになるから不思議です。
仏さまの優しく柔和な、慈悲にあふれたお姿のことを「愛し敬うお姿」として「愛敬相(あいぎょうそう)」といいここからあいきょうという言葉が生まれました。今では、敬という字は“美しい”という意味の嬌に置き換えられた。

○無念(むねん)
「むねんじゃ」など時代劇ではよく耳にする言葉。一般には非常に悔しいこと、残念なことをいいます。
この「念」は観念や思想、心にかかること、またかねてからの望みなどをあらわし、この「念」が無いのが仏教語での「無念」となります。
つまり執着の無い正しい思いや、無我の境地で心にとらわれないことを意味します。
たとえ悔しいこと、残念なことがあったとしても心を落ち着けて、仏教語でいう「無念」になって正しく見つめたいものです。

○安心(あんしん)
一般に心配がなくなって、心のやすらかなさまを「安心(あんしん)」といいますよね。仏教語では「あんじん」と濁って用い、仏さまの教えを守り、信仰を実践することによって到達する心の安らぎや、不動の境地のことをいいます。
日常生活での「あんしん」はささいなことで崩れてしまいがちです。しかしどんな時でも仏さまに見守っていただいていると信じることができれば、本当の「あんじん」を得ることができるかもしれません。

○観念(かんねん)
「かんねんした」というと、困った時などに「諦めた」、「覚悟した」という意味に用いる。
しかし仏教語で「観念」というと、「目を閉じ、心を静め、仏さまの姿を思い浮かべること」また「極楽浄土のありさまを思い、念じること」をいいます。
ちょっと一休みして目を閉じて瞑想してみると、なんとなく穏やかな気持ちになり、困った時など、先ずは観念してみる。

○曼陀羅(まだら)
「斑(まだら)」というと、白髪まじりの頭のように、濃淡または色が入り交じっているものをいいますが、これは曼荼羅に由来しているといわれています。
曼荼羅にはたくさんの仏さまや神様が画かれており、それぞれの悟りの世界が表現されていることからこの意味が生まれたのです。
白髪の一本一本にも仏さまなのかと手を合わせたくなります。

○馬鹿、莫迦(ばか&ばか)
利口でない者や、そのさまを見るとつい言いたくなる言葉ですが、これは古代インドで用いられたサンスクリット語の「モーハ」が語源とされています。
「モーハ」とは諸々の迷いや邪行をおこす根本的な煩悩のことをいいます。迷いの世界にいる私たちは、みんなが「モーハ=バカ」な存在といえますよね。
しかし、仏さまから見ればバカか利口かは問題ではなく、迷いをいかに断じるかが大切なのです。「バカ」であっても「モーハ」ではないように心がけたいものです。


PageTop